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英国のナショナル・トラストを飯能の地に/「埼玉ハンノウ大学」小野まりさん

小野まりさんに初めてお会いしたのは、2020年1月に飯能市のシェアスペース「Bookmark」で開催した「西埼玉・観光MAPをつくるワークショップ」(主催:西埼玉暮らしの学校)でのこと。以前に取材したAKAI FACTORY 赤井恒平さんのご紹介で参加いただいた。小野さんは2002年から2018年までイギリス・コッツウォルズに住み、当地のナショナル・トラスト運動を日本に紹介してきた文筆家。2018年に帰国した後、飯能市全体を大学のキャンパスに見立てた生涯学習とまちづくりの仕組み「埼玉ハンノウ大学」(以降、ハンノウ大学)の設立準備をされているとのことだった(2020年9月に開学)。

事務局を置く歴史的建造物「飯能織物協同組合事務所棟」の修復工事を進めている小野さんに、ハンノウ大学を作った経緯や描く地域像についてお話を伺った。

著作を紹介する小野まりさん
小野さんが住んだコッツウォルズの風景

英国の「アート&クラフトセンター」を飯能に

− 20年近く生活したイギリスから帰国された理由は?また、なぜ飯能だったのでしょうか?

小野:
日本ナショナル・トラスト協会公認画家の夫の取材旅行として、1999年に初めて家族で英国のナショナル・トラストの保護地58ヶ所を訪ね、ご縁が繋がり2002年に移住しました。それから英国に住んで子育てもしたのですが、義父と死別して一人暮らしをする義母をサポートする必要があり、帰国を決めました。
私は渋谷区で生まれ育ったのですが、夫が肺を患ったこともありきれいな空気を求めて英国移住前に飯能に家を買っていたんです。英国在住の間も飯能の家は維持していて一時帰国する際に滞在していました。

飯能織物協同組合事務所棟

− ハンノウ大学のスタートは?

小野:
この建物(飯能織物協同組合事務所棟、以降 織協)を残すことがスタートですね。1922年に建てられて間もなく築100年を迎える建物ですが、英国に移住する前から気になっていたんです。それが、帰国して残っていることに気がついて、歴史的な文化遺産として次世代に残すべきものだろうと考えるようになったんです。
地元の建築家・浅野正敏さんに聞いたところ、毛呂山町に本社を置く不動産コンサルティング会社が所有していることがわかりました。そのオーナーさんには保存の意思はあるけれど、利活用については検討中の状態でした。
そんな折に、駿河台大学・飯能信用金庫主催のプランニングコンテストがあって、私が織協を「アート&クラフトセンター」として活用する計画を発表したところ優秀賞を受賞したんです(2019年1月)。

イギリスの歴史建築を利用した文化施設のティールーム

−「アート & クラフトセンター」とは?

小野:
英国のカントリーサイドの町や村にある文化施設です。地元のアーティストの作品が置いてあって、ティールームで紅茶とケーキを楽しむことができる、地元の人も観光で訪れた人も利用できる開かれたスペースです。
英国では、地元の人たちがその地域に住むクリエーターたちを育てる、「文化は自分たちで育てるものだ」という考えが広く浸透しています。英国のカントリーサイドで暮らして実感したのですが、ロンドンのような大都市も小さな片田舎も、同じように劇場や美術館があって、そして「アート&クラフトセンター」のような文化施設が当たり前のようにある。そして都心よりもむしろ田舎のほうが、文化水準も教育水準も平均して高いというのが、日本と大きく異なる点です。
さらに、「アート&クラフトセンター」は地域の歴史建築物をリノベーションしているところが多く、「森林文化都市」と謳われている飯能の歴史建築「織協」の利活用にふさわしいと思いました。

プランニングコンテスト受賞後にオーナーさんにご報告に伺ったところ、このプランを気に入って下さって、プランの実現のために動き出すことになりました。偶然にも、オーナーさんは19世紀に活躍した英国を代表するデザイナーであり民芸運動の先駆者でもあったウィリアム・モリスのファンでした。英国の「アート&クラフト」という言葉はモリスの提唱した運動そのものを指します。つまりオーナーさんが思い描いていたものと私のプランがぴったりだったのです。
あとに市民が享受するような公共性の高い利活用でないと、地域に文化を残すことにはなりません。ただ、英国ナショナル・トラストで歴史的建造物の保全を目にしてきた立場からも、古い建物の改修整備には多大な時間とお金がかかることは想像できました。
その費用は篤志家であるオーナーさんが投資してくださるにせよ、オーナーさんお一人に負担させ市民は眺めているだけではいけないと感じていました。英国のナショナル・トラストも代々続く貴族の館を保存する際は、一部はその末裔の所有でも、あとは市民の寄付などで修復をし、公開へと繋げ、次世代へ残す仕組みを取り入れています。工事は着手しましたが、工事が続いている間も、オーナーさんのみならず、残したいと思っている市民が投資に値する価値を示さなければと考えていたんですね。
そんな時に出会ったのが「シブヤ大学」でした。

ハンノウ大学は都会にむけたブランディング

−シブヤ大学は、渋谷の街全体をキャンパスに見立てて様々な講座を開催している民間(NPO法人)の社会教育機関ですね。

小野:
シブヤ大学のことはそれまで知らなかったのですが、イギリスのフットパス(歩く権利)について講義をしてくれないかと依頼がありまして、2019年の11月に「イギリス人はなぜ歩くのか?~「歩く文化」を楽しむ~」というタイトルでお話をしてきました。
その事前の打ち合わせの際にシブヤ大学の仕組みについて詳しく伺って、同じことが飯能でもできると閃いたんです。NPO法人としてハンノウ大学をつくって織協を事務局として登記すれば、オーナーさんにも利活用の実績としてお伝えできるだろうと。

−最初から法人にした理由は?

小野:
まずは、任意団体ではなく法人として登記することで、オーナーさんに対してここで事業を営んでいく覚悟を示したかったんです。それから、2002年に東京で「ナショナル・トラストサポートセンター」というNPOを作っていたのでNPO法人を作る経験があったことも理由の一つですね。
埼玉県でのNPO設立について調べていたら、ちょうど使えそうな起業支援金を見つけて、締め切りが間近だったので、急いで理事を集めたり事務所の賃貸借契約をしたりウェブサイトを作ったりと設立準備をしました。
本来は2020年4月の開学を予定していましたが、新型コロナウィルスの影響で9月に延期。現在は月に2授業ほど実施をしています。

「ウィスキーに舌鼓!スコットランド人Rabさんと味わうスコッチウィスキーの夕べ」授業風景

−どんな授業が企画されているのでしょうか?

小野:
写真撮影の授業や乾物の授業、スコットランド人が教えるスコッチウィスキーの授業もありますね。
ハンノウ大学は飯能市のブランディングを目的としていて、人口を増やすことで地域の課題解決に貢献しようとしています。ですから、生涯学習といっても参加者ターゲットは市内ではないんです。飯能に縁のあるクリエイティブな人に講座をしてもらい、市外の人に発信する。特に都会の若い人たちに、「飯能ってなかなかお洒落じゃん」と思って引っ越してきてもらえるような流れを作りたいですね。海が好きな人が湘南に移り住む例は以前からありましたが、山が好きな人は飯能に移り住むような、そんなブランディングを図っています。

−運営の仕組みは?

小野:
法人としては私が代表で、AKAI FACTORYを運営されている赤井さん始め地元有志の方々に協力をいただいています。また授業に参加するための学生やボランティアの登録はすでに70名ほどが集まっています。英国ナショナル・トラストは年間6万人のボランティアによって支えられていますが、ハンノウ大学も同様に地元のボランティアによって支えられています。
運営費については、当初はシブヤ大学と同様、行政が業務委託費として出してくれないか考えていたのですが、現在はコワーキングスペースや物販、また地域の女性の活躍を推進する事業など収益事業を作って産み出そうとしています。行政のお金を頼ってしまうと首長が変わると方針も変わってしまうリスクがありますので。英国ナショナル・トラストも行政には頼らず、ナショナル・トラスト・エンタープライズという事業会社がティールームや土産物で収益を上げて、運営費を生んでいます。

月に1度の運営会議の模様

生涯学習に止まらないこれからの活動

− これから取り組んでいきたいことは?

小野:
事業収益の話とも関連しますが、様々なプロジェクトがすでに動いています。
例えば、織協事務所棟の隣にある蔵を改修して「Beleaf+(ビリーフ・プラス)」というママさん向けのコミュニティスペースを作ります。1階は商店街で買ったものを持ち込めるカフェ、2階は女性専用のコワーキングスペースになります。コワーキングスペースでは、ハンノウ大学が企業などと利用者との間に立って、企業などから仕事を集めて利用者に紹介する様な役割を果たせればと思っています。
それから、日高市の阿里山カフェと連携して畑も始めようとしています。「半農(ハンノウ)暮らし」とよくいうけれど、実際どうやったらできるのか、農業指導の方に教わりながら野菜を育てるキッチンガーデン(英式家庭菜園)です。そこで採れた野菜を乾物にして物販もできるといいですね。

−生涯学習に止まらない様々なアイデアが、アイデアで止まらずに実際に動き始めていると。

小野:
はい。それから、飯能から秩父に向かう途中にある宿場町「吾野宿」を舞台にした山間地域の活性化プロジェクトにも取り組んでいきます。長期計画ではあるのですが、ここでは、古民家を活用した宿泊施設「ホリデーコテージ」を作ります。一棟貸しの貸し別荘ですね。イギリスになくて日本にあるものの一つが美しい渓谷の景色です。そんな自然を楽しむ滞在型の施設をつくって、外国人富裕層を呼び込んではどうかと。
コロナの時代ですからまずは都内在住の外国人が対象となりますが、英語で発信をすると日本語で発信するのとは全く違ったターゲットに訴求ができます。ローマ字の「HANNO」を浸透させていきたいですね。来年度、HANNOリビルディング計画として1軒でも形にできればと思います。

ナショナル・トラストが所有する元貴族の館

−ナショナル・トラストでの経験というバックボーンがあるからできることですね。

小野:
そうですね。英国ナショナル・トラストが所有する元貴族の館などは、不便なところにあるわけですよ。カントリーサイドの奥を、本当にあるのかなと思って進んでいくと、ポーンと現れる。そんな場所ですから、お金と人力がないと文化遺産として守っていけない。それをうまくやっているのが英国のナショナル・トラストなんです。
画家の夫は日本人として初めて、英国全土のナショナル・トラストの保護地を会場とした巡回個展を開催しました。20年に渡って続けたところ、年間数万人の入場者があり、固定のファンもついてきました。それも英国ナショナル・トラストのイベントチームが力を入れて作っている事業なんです。ただ場所を開いていても人は来ない。映画上映会や野外コンサートなどイベントを仕掛けて人を呼び続けている様を、間近で見させてもらったのが経験として今に役立っています。
日本人とイギリス人って感性が似ていると思うんです。最初のうちは、日本でイギリスを再現するのは難しいよねって思っていたんです。ですが、3・11のあと日本人の意識も変わってきたと思います。行動する若い人たちも増えましたよね。ハンノウ大学の活動も、いまの時代だからできることだと思っています。

吾野の森で英国流クリスマス・クッキング in English

編集後記

「ハンノウ大学」の最初のイメージは、シブヤ大学をモデルに各地で実施されている所謂「ソーシャル系大学」だった。だが、お話を伺って、モデルとして活用はしているけれど、より重要なのは「英国ナショナル・トラスト」にあると認識を新たにした。英国のナショナル・トラストは、土地の歴史と文化、自然と人の営みを包含した、日本のそれより広い概念。それはNGO組織という仕組みを超えた編集基準・プロデュースの軸としての概念であると言えよう。
以前、飯能市でシェアアトリエ AKAI FACTORYを経営する赤井恒平さんにインタビューをした際、これから繋がりたい人は「プロデューサーといいますか、総合ディレクターのような人」だと仰っていた。それに近い存在が小野さんかもしれない。
目指すべき方向性を示し、示すだけでなく実現を見るまで駆動するエンジンになる。
熱量を高く行動する人柄と、英国ナショナル・トラストの経験。飯能のナショナル・トラスト化は小野さんだからできる仕事だ。その活動に目掛けて都会から感度の高い若者たちが通ってきたり、定住したりする日も、そう遠くない様に思う。

小野まり(おの・まり)

NPO法人ナショナル・トラストサポートセンター代表理事/NPO法人埼玉ハンノウ大学学長/著作家  飯能から英国コッツウォルズへ家族で移住。約20年間の英国での活動後、現在は地元で英国式の地方創生に取組む。

埼玉ハンノウ大学公式WEBサイト:https://hanno-univ.net/

ライター・大竹 悠介 (おおたけ・ゆうすけ)

「西埼玉暮らしの学校」代表。埼玉県所沢市出身。埼玉県立川越高校卒業。大学院でローカルジャーナリズムの研究をしたのち、広告代理店や映画祭運営会社などで勤務。2018年1月、フリーランスの立場で「西埼玉」のローカルメディア兼学びの場をはじめる。マイテーマは「人を手段化しない経済」。好きな場所は多摩湖の堤防。

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